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ita-san
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昭和35年埼玉に生まれる。流鉄の切符とケーブルカー/リフトの切符を中心にコレクション、他に銀行の封筒や世界の紙幣などを精力的にコレクションしてます。
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2007年08月29日

第二十三展示室 交換駅開業記念乗車券




 流鉄初めての記念乗車券です。小金城跡駅に完成した交換設備を記念したものです、この時期の記念乗車券は国鉄をはじめ他社でも一枚物で、封筒入りのセット販売ではありませんでした。また券面のデザインは同じですが切符の部分は各駅発行のため発行駅と区間が違っています。私は画像にある赤城台、幸谷、小金城跡と流山発行の4種を持っていますが、鰭ヶ崎と馬橋駅発行のものもあるかと思われます。
 
 さて、全線単線の線路に交換駅を造ると単純に輸送量は倍となりますね。流鉄では交換駅設置後も年々輸送量が増えていったので車両の大型化と増結で対応していきましたが、それでも限界となってきました。そこで今の運転方法のようにピーク時には列車が終点に到着すると同時に反対側の線路に停まっていた列車を発車させ運転間隔をぎりぎりまで狭めて対応するようになりました。営業距離の割りに車両数が多いのはそのためです。
  

Posted by ita-san at 21:37Comments(0)TrackBack(0)

2007年08月28日

第二十二展示室 流山電鉄/片道乗車券




 流山電鉄は昭和42年から46年までと短い期間でした。切符の様式は流山電気鉄道時代のものを踏襲していますね。上方左側は社線内、右側は国鉄連絡券です。2等の表示がありますね。
 下方のの3枚は2等の表示が無くなっています、昭和44年国鉄は1、2等制からグリーン車と普通車に呼称を変更、運賃は共通となりグリーン車に乗るときはグリーン券を買うシステムとしました。そのため2等の表記が消えたのです。なお、下方の社線内券の発行は総武流山電鉄と社名を変えてからの発行ですが、在庫品をそのまま発行したものです。運賃の変更を示すスタンプが捺印されてますね。
  

Posted by ita-san at 21:57Comments(0)TrackBack(1)

2007年08月23日

第二十一展示室 職務乗車證




 社員に貸与されるまぁいわゆる無料パスですね。マジックで斜線が引いてあるのは廃棄するにあたって使用できないようにしたものですね。

 ところで、私は学生時代某国鉄のターミナル駅で切符切り(今は自動改札になってますけどね。)のアルバイトをしていました、当然国鉄の職員は無料パスで乗車してきますね、また私鉄とも共同使用駅となっましたから私鉄の社員も無料パスで乗ってきます。あたりまですね。
 て゜も、他の私鉄やバス会社の無料パスでも乗り降りする人も多くいました。本当は乗れないのですけど、これはお互い様ということで見逃すことになってました。もちろん国鉄のパスで私鉄やらバスは乗れていました。
 それから無料と言うと警察手帳でもフリーパスでした。公用での乗車(犯人追跡など)には協力するのは当然なので問題ありませんけど、明らかに(酔っ払っているなど)私用と思われる場合もありましたね。

 しかし、最近では厳しくなっているようですね、私用で乗った警官が首になったり、自社のパスでさえ通勤区間外に乗ったとして運賃を追徴されたりとニュースになってますよね。
  

Posted by ita-san at 22:18Comments(0)TrackBack(0)

2007年08月19日

第二十展示室 回数券



 回数券は昭和26年からこの様式となっています。写真の券は11枚綴りの11枚目、この下側に10枚の券片がつながっていました。通用期間は1ケ月ですね。  

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2007年08月16日

第十九展示室 定期券





 流山電気鉄道時代の定期券です。上の定期券の様式は国鉄が昭和26年に制定した様式です、上方に赤線が3本ありますが、1ケ月用を表しています、因みに3ケ月用が2本、6ケ月用が1本でした。
 下方の定期券はその後の様式ですが、こちらは国鉄が昭和33年に制定したものです。一番上のものが3等時代のもの、下2枚は2等時代のもので、一番下はその裏面です。こちらにも赤線が引かれていますが、3等及び2等を表しています。また、これらの券は発売されずに放出された「廃札」のため右側に管理用の券片もついていますね。

 前回新章で流山電鉄に入りましたが、まだ流山電気鉄道時代のものがありましたので、ちょっと話はさかのぼってます。
  

Posted by ita-san at 20:49Comments(0)TrackBack(0)

2007年08月06日

談話室 コーヒーブレイク

 鉄道マニアにもいろんな種類の人がいますね。今では「乗り鉄」「撮り鉄」などと分類するようですね。私は乗ることももちろん好きなのですが、なんといっても切符の収集が一番ですね。
 切符収集の基本は窓口で買うことですよね。乗りもしない切符を買うなんてなんてありがたいお客様なのでしょうか。でも、同好の人なら判ってもらえるかと思いますが、なぜか鉄道職員は冷たい所が多いのです。もちろん手間のかかる切符を買うことも多いので面倒くさいのでしょうが、貴重な収入のはずですよね。
 以前東北へ行ったときに会津鉄道で団体券やら補充券など手間のかかる切符を万を超える金額を払って買ったことがあります。あいにく駅の職員はパートで、団券の発行などしたことが無かったのですが、近くの本社からわざわざ社員がやってきて丁寧な対応で売ってくれました。
 しかし、某私鉄の社員は団体券や補充券は売れないと断ってきました。理由はいろいろ言っていましたが、要するに面倒なのと発券の方法があやふやなのです。こちらとしてこうゆう場合無理にも買いたくはないのですが、この時はたっぷり時間もありあまりにも社員の対応がおそまつなのでがんばってしまいました。
 「発券するのに時間がかかる。」との言訳にはには「それなら駅前の温泉旅館に泊まってもいい。」と、「団券は本社の承認が必要。」と言われれば携帯電話で本社に確認(本来そんな取り決めは無いとのこと。)「JR連絡の補充券は自販器故障の時などにのみ発券する。」との答えには補充券の冊子を確認して最近発売していることを確認、もちろん自販器は故障などしていない。「他の乗客に迷惑がかかる。」との答えには「定期購入客がいたら先に対応してもかまわないし、出改札の時にはもちろんそれを優先してもかまわない。」と、こんなやりとり経てしぶしぶ発券してくれました。
 ことわっておきますが、本来こちらもめんどくさがりなので「売れない。」と言われれば執拗にくいさがることは少ないのですが、赤字で明日にも廃止が噂されているような私鉄なのにただ「面倒」との理由で数千円の収入を逃すなんてどうかしてますよね。 こんな経験みなさんはありませんか。

 コーヒーも飲み干してしまったので、今日はこのへんで。
  

Posted by ita-san at 22:51Comments(0)TrackBack(2)

2007年08月06日

流山電鉄




 昭和42年流鉄は「流山電鉄」と改称しました。この時代の一番のエポックは小金城跡駅に列車交換設備が完成したことです、増え続ける旅客に列車間隔の短縮や増結で対応してきましたが、抜本的な対策がとられ、輸送量は倍増されたのですね。
 さらに貨物輸送は完全に廃止され、貨物鉄道のから旅客鉄道に転換された時代でもありました、東京のベットタウンとして沿線の開発が一気に進んできたのですね。

 写真の電車はこの時代に増備されたモハ1101形電車です。今までの電車もそうでしたが、この車両も西武所沢車輌製の中古電車です。車体は京浜急行の廃車体を利用し、西武の手持ちの機器を使って造られたそうです。でも中古とはいえ窓の大きなスマートな電車でしたね。
  

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2007年07月31日

参考展示室 観光パンフレット






 上段のパンフレットが「流山鉄道」、下段のパンフレットが「流山電気鉄道」時代に発行された観光パンフレットです。
 流山鉄道時代のものは付近のハイキングコースが案内されています、この頃は緑の多い地域だったのでしょう、東京近郊の観光地としててごろだったようです。右側わパンフレット裏の広告ですが、流鉄のスポンサーでもあった街の基幹産業、酒造会社のものですね。

 万上と商標がある方が元々「堀切紋次郎」氏が1766年に創業した会社で味醂(ミリン)を主に醸造していたとのことで、万上味醂会社となり後に野田醤油と合併、現在はキッコーマンとして有名な会社となっていますね。万上本味りんは現在でも定番の商品です。
 もう一方の天晴・爽風と商標があるほうが1782年に「秋元三左衛門」氏が創業した会社で、当時は東邦酒類となっています、そして現在はこれまた有名なメルシャン流山工場となっています。

 流山電気鉄道時代となっても沿線では山菜やらたけのこ狩りが楽しめたり、スイカなんかも造っていた様子がわかりますね。江戸川には流山橋の近くに渡し船が通っていますし、釣りの名所としての案内もあります。また、松戸駅や運河駅方面を結ぶバスの路線が開通していることもわかります。
  

Posted by ita-san at 22:58Comments(0)TrackBack(5)

2007年07月23日

第十八展示室 団体券・戦前仕様




 この団体券は「総武流山電鉄」時代の昭和53年に発行されたものですが、この様式は戦前のものです。流鉄では団体券の発行が少なく、流山鉄道・流山電気鉄道・流山電鉄・総武流山電鉄と4回も社名が変わってもずっとこの仕様の団体券が発行されていたのでしょう。
 ただし、この団体券は社線内のものなので、国鉄連絡用には新しい仕様のものが使われていた可能性もあります。また、昭和54年発行の団体券は新仕様となっているので、この仕様はこの年で終わっているようです。
  

Posted by ita-san at 21:54Comments(0)TrackBack(0)

2007年07月21日

第十七展示室 車内補充券・2等券




 国鉄が1・2等の2クラス制となったあとの補充券、左側のものが3クラス制時代の様式を踏襲したものですが、字紋の色が変わりました。また、幸谷駅が追加されていますね。そして、右側のものが流山電気鉄道時代の最晩年のもの、残念ながら実物が無くコピーです。
 青券にはもう一種類あるらしいのですが、これまた残念ながら実物を見たことがありません。
  

Posted by ita-san at 21:17Comments(0)TrackBack(0)

2007年07月19日

第十六展示室 車内補充券・3等券





 3等時代の車内補充券の3種です。右が一番古いもので、国鉄の下十条駅(現在の東十条)の表記があるので昭和32年以前のものとわかります。他の2枚は東十条に変わっていますね、中・左の2枚は同じように見えますが書体の一部に微妙な違いがあります。

 コメントを戴きました「ZS」さん、ありがとうございました。実は貴HPは以前より閲覧させて頂いており、お気に入りに登録しております。大変参考になってます、幅広い情報に感心・歓心・関心しています。勝手に「学芸員」に任命いたしました、以後また当博物館においでくださいませ。
  

Posted by ita-san at 22:29Comments(1)TrackBack(1)

2007年07月15日

第十五展示室 車内補充券・手書タイプ




 活字が手書き風の古いタイプの車内乗車券。赤城駅は現平和台駅、幸谷駅はまだない。大きさは縦13cm、横6cmほど。発行者=車掌のゴム印が捺印されている。  

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2007年07月11日

第十四展示室 金額式片道乗車券




 金額式の乗車券は国鉄では戦時中の略式様式として登場。東京地区では昭和32年から現れ、何度か様式が変更されています。正式な様式とされたのは昭和45年からでした。
 このような金額式を制定したのは出札窓口の合理化のためで、口座数(切符の種類)を大幅に少なくすることができました。また、運賃の改正があっても旧券をそのまま使用できることが多いという利点もありました。短距離区間の切符は今ではこれが主流となっていますね。
 流鉄でも金額式が登場しましたが、社線切符は駅数が少ないためメリットはあまり無くすぐに廃止されてしまいました。
  

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2007年07月02日

第十三展示室 往復乗車券(常備・補充)






画像左の切符が「補充式往復乗車券」の復路券です。この切符はもともと下図左側のようになっていて縦6.06×横5.75cmほどの大きさです。これに行き先を手書きしてそれに応じた距離を切り落とし、さらに往路と復路券を切り分けて発券されました。
 また、画像右は「常備式往復乗車券」の往路券と復路券(別区間のもの)です。これも下図右側のように往路と復路券がつながっていますが、ミシン目が入っています。往路の下車駅で半分を渡し、残りの半券を復路で使いました。ずいぶん小さくなってしまい無くしてしまいそうですね。

 この様式は補充式が昭和24年、常備式は昭和25年に国鉄が制定したもので、流鉄でもこれにならい、昭和41年に硬券から軟券に変更となるまで発売されていました。
  

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2007年06月27日

第十二展示室 加刷軟券




 この切符は昭和35年に発行されたものです。この当時馬橋駅には流鉄の駅員はいないので車内で発行されたのかもしれません。(国鉄の窓口で売られたとは考えられない。)
 この切符を良く見ると、一番始めに「社線10銭区間」と黒字で印刷されています、それに赤字で「馬橋→赤城・流山 大人15円」と加刷され、さらに運賃が変更となったため「20円」とスタンプが捺されています。
 おそらく戦後の物資不足のときに古い切符に加刷されまにあわせで作ったのでしょうが、昭和35年当時まで発行されていたとは驚きですね。
  

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2007年06月22日

第十一展示室 3等/2等国鉄連絡乗車券

  


 こちらは国鉄連絡乗車券の3等券と2等券です。様式は社内券とおなじですが「馬橋経由」と表記されています。この頃はまだ武蔵野線が開通していないので国鉄への乗換えは馬橋駅だけですね。
 ちなみに武蔵野線が開通すると最寄り駅は「新松戸/幸谷」となりましたが、こちらは連絡運輸をしていませんから「幸谷経由」の切符は存在しません。
  

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2007年06月17日

第十展示室 2等片道乗車券




 こちらが2等券です。国鉄は昭和35年にそれまで3クラス制だったものを、3等を廃止して1、2等の2クラス制に移行しました。これにより今までの3等券を2等券と表記し、字模様の色も「赤券」より「青券」になりました。
 流鉄でもこれに合わせて変更されましたが、在庫券はそのまま発売が続けられていたので暫くは旧券(3等券)が発売されていたものもありました。
  

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2007年06月11日

第九展示室 3等片道乗車券




 画像の乗車券は昭和30年代前半のものです。3等と表記されていますが、この当時流鉄ではモノクラス制となっています。わざわざ3等と表記しているのは国鉄に合わせた様式としているからです。
 国鉄では昭和35年5月31日までは1等2等3等の3クラス制でしたので、切符にもそれぞれ等級が表記されていたのです。字模様も1等は黄緑色、2等は紫青色、3等は淡赤色と塗り分けられていました、もちろん流鉄でも淡赤色(通称赤券)でした。
  

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2007年06月08日

第八展示室 通券




 この頃、流鉄は全線単線のうえ列車の行き違い設備が無く、1閉塞でした。1閉塞とは本線上には1列車しか走れないと言うことです。これさえ守っていれば絶対衝突事故は無いわけで、もっとも単純な方式です。
 しかし、流鉄には赤城駅より分岐していた貨物線があり、馬橋方向から来た貨物列車はいったん流山構内に入り、折り返し赤城駅から貨物線へ運転されていました。するとどうしても1閉塞では間に合わずにこの区間に続行運転しなければなりません、そこで安全を確認したしるしとして駅長がこの「通券」を発行して、続行運転をしていたのです。


   

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2007年06月06日

流山電気鉄道




 電化の2年後の昭和26年に社名を「流山電気鉄道」と改称しました。燃料不足という理由で電化しましたが、戦後の混乱期を過ぎると旅客輸送が伸び始め、電化は最大限の効果を生むこととなりました。一方、貨物輸送はトラック輸送にとってかわられ、減少してゆくこととなります。
 上の写真は昭和30年代の流山構内です。電車は電化にさいして購入した100形電車ですが、この電車は南武鉄道(現JR南武線)が開業にさいして新造した車両で、古い車両でしたが長く主力として活躍しました。
 
 南武鉄道=昭和2年開業、昭和19年国鉄に買収され、現在JR南武線となる。
 
  

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